わたしにとって箏はパスポートのような存在。うたはな琴教室や演奏活動をとおして表現する喜び、安心感のある居場所をつくりたいと思っています
あなたにとって琴とはどんなものですかと尋ねられましたので、改めて書いてみることにしました。
わたしにとって琴とは、自己の探求、自分の表現、日本文化研究、居場所、仲間、パスポート。そんな言葉が湧いてきます。
わたしにとって箏はパスポートのような存在です。
高校の部活で箏に出会ってから、それまで全く知らなかった日本の音楽“邦楽”にアクセスすることができるようになりました。箏曲だけでなく、着物の着付けを習いに行くきっかけになったり、お能の稽古に行くことができたり、歌舞伎や様々な三味線音楽に触れることもできました。
そして邦楽だけでなく、音楽そのものへの扉をひらいてくれました。子どもの頃ピアノを習っていた頃は五線譜はいまいち読めませんでしたが、大学の邦楽部で活動している間にとても理解が深まりました。今ではジャズのライブなんかにも行くようになったし、ライブハウスへ行くことも普通のことになってきました。
箏を弾きながら歌う曲が少なからずあるので、憧れだったけれど苦手意識の強かった歌へ挑戦することができました。
琴をとおして出会うことのできた人がたくさんいます。日本のものを学ぶことで、かえって外国人の友だちもできました。
箏があったから出会えた人、行くことのできた場所、経験がたくさんあります。
箏があったからこそ自分のこれまでとは異なる世界にふれることができました。
箏は様々な世界へわたしを導き連れて行ってくれるパスポートのように感じています。
そして私にとって箏は居場所であり、仲間を得ることができるものでした。
高校と大学の部活動出身のわたしは学生時代、箏の演奏をとおして仲間との信頼関係を深めることができました。
畳の部室はいつもほっとする居場所でした。
わたしね、子どもの頃、小学3年生からは学校になじめなくて、毎日孤独で生きているのがつらい日々を送っていたんです。今でこそ初対面の人とも話せるし、友だちもいるけれど、かつては学校に行っても全然誰とも話さないで帰ってくる毎日でした。毎日もう死にたいと思っていたし、小学校の休み時間は教室にいるのも校庭に行くのも保健室なんかに行くのもつらいので、よく一人で図書室に行っていました。
親にも何も話せなくて、人に何をどう話したらいいのか、どうやって人と関係を築くことができるのか、すっかり分からなくなってしまいました。
小学校はそんな暗黒時代でしたが、中学校の合唱祭や、高校の文化祭、高校の美術部での共同製作、邦楽部での合奏など、音楽や美術をとおして人と過ごすことのたのしさや喜びを知りました。
最も影響を受け、幸せに過ごすことができたのが高校の美術研究会。美術室は、わたしにとっての“楽園”でした。
さて大学に入ってから、邦楽部の部長になったとき、わたしは“楽園”をもう一度作ろうと思いました。
わたしの部室の中は、みんなが安心して自由に自らを表現できる空間にしよう。みんな個性を表現して心が自由だし、それぞれの世界を尊重し認めるけれども、かつ、演奏会という共通の一つの目標にむけて協力して準備するようにしようと。
そうしてできあがった部の雰囲気はとても心地よく、わたしは幸せでした。今でも大学の邦楽部の仲間とは関係が続いています。
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こんな原体験が理由で、わたしはうたはな琴教室や、演奏、その他の活動をしています。
わたしの活動をとおして、
「みずから発信し表現することの喜びと楽しさ」そして
「ともに協力して作り上げる表現の時間を共有することによって得られる安心感ある居場所」
この二つをみなさんにお伝えしたいです。
それによって“生きがいのある人生”をつくるお手伝いがしたいと思っています。
これね、わたし自身が心から楽しく遊べて、人もそれで一緒に楽しく遊べるようなものを提供するってことなの。最高に幸せな循環がうまれます。
それからもう一つ、「日本の文化、日本という国、日本人であることを大切に想って、自分に自信をもつこと」これもきっと私は伝えていきたいのだと思います。
20180427-08
箏を弾くことが好きです。箏の音色が好きです。
高校入学直後の部活見学のときにはじめて箏を弾いたとき、これまで知っている楽器の中で最も美しい音がすると思いました。はじめて弾いたのに、なぜか“懐かしい”という気持ちが湧きあがってきました。
それがとても不思議で、どうして懐かしいなんて感じるんだろう、ちょっとやってみようと思って入部しました。あのときの感動が今も私を動かしています。
少しの身体の使い方で音色が変わることもいつも面白いと感じています。難しい曲もたくさんありますが、少しずつ挑戦しています。
わたしにとっての箏は様々な世界へアクセスするためのパスポートであり、癒しや日本の文化を大切にする行動であり、居場所や仲間が得られ、自己の探求や自分の表現することのできるものでした。
箏があったからわたしの生活は豊かに彩りを増した。だから、わたしはみなさんにもそれを提供したいです。
大学を卒業したとき、わたしは自分の琴教室をひらいて“楽園”をもう一度作ろうと思いました。
大学のように部室があって楽器や備品があるわけでもなく、新入生が毎年入ってくるわけでもなく、自分の演奏技術を高め、必要な物を少しずつ揃えて一からすべてつくりあげるのは容易なことではなく時間がかかってしまいましたが、今ようやく形になってきました。
教室の生徒さんたちは、私が一方的にただ技術を教える対象ではなく、共に心地よい世界をつくる仲間だとわたしは思っています。わたしよりも演奏が上手になってもらって音楽で世界に貢献してほしいくらいです。
箏があることによってみんなの人生がより豊かで楽しく輝かしいものになることを願っています。
長くなりましたが、わたしがなぜ、どのような想いを持って活動しているのか、改めて書かせていただきました。
お読みいただきありがとうございました。
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